加藤隆『福音書= 四つの物語』(講談社選書メチエ)から、

イエスにとってウ羽陽なのは、「神の支配」の現実であるはずである。これに比べるならば、イエス自身の位置づけや、イエスの言動は意味がないはずである。/「神の支配」が全面的に実現して、すべての人が、あるいはこの世の全体が、神と直接的・実質的に結びつくならば、すべてが神に直接的に導かれるはずである。こうした事態こそが、「神の支配」が十全に実現したところの下二つである。文字通り「神がすべてを支配する」のである。王の命令が伝えられて、その命令に従う者は、王に従うのである。王が支配しているからである。命令を伝える使者は、いわば誰でもよいのである。/このような意味で「イエスについての情報」は、イエスにとってどうでもよいものだったと考えられる。イエスが自分について、また自分の言動についての情報を書き留めるということをおこなおうとしなかった根本的な理由は、ここにあるだろう。


Kimra Iron's Ownd/鉄考書

木村鉄に才能はありません。 が、そこからしか考えることも書くことも、できません。  詩のように小説を。 小説のように詩を。 物語は、 理論として構成として構想として概念として。

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