荒井章三『ユダヤ教の誕生 「一神教」成立の謎』(講談社選書メチエ)から、

 第二イザヤは、世界の再創造を現出するマルドゥクの創造劇に眼を奪われている民に対して、ヤハウェこそが世界を創造したのであると、ヤハウェの力の優位性を主張した。しかし、彼の場合、決して世界創造のみを単独で取り上げるのではなく、あくまでイスラエルの救済とのかかわりを失うことはない。天地を創造する神は、またイスラエルを贖う神なのである。創造と歴史とは深く結びついているのである。

 そして、この世界の歴史を導く神はヤハウェ唯一人である。彼は捕囚の民であるイスラエルを導く神から、世界の歴史を導く神へと、輪を広げるのである。その時点では、彼の神は栄光にみちた主である。しかしながら、彼はそこからその輪を再びイスラエルへと収斂させる。そして、さらにそのイスラエルの中心としての「僕」の苦難へと収斂させるのであr。

 この「栄光」から「苦難」への転換はまさに逆説であり、謎としか言いようがないが、おそらく第二イザヤにとって、「栄光」から「苦難」へとくだり、そのことを通して神の栄光をあらわにするこの僕は、個人であれ、集団であれ、歴史の彼方に待望されるメシアとして位置づけられていたのではないだろうか。後にキリスト教が、イエスの十字架という苦難を通して人類の罪の贖いを説いたときに、この苦難の僕をキリストの予表として取り入れたことは周知の事実である(「使徒言行録」八章二六節以下参照)。

Kimra Iron's Ownd/鉄考書

木村鉄に才能はありません。 が、そこからしか考えることも書くことも、できません。  詩のように小説を。 小説のように詩を。 物語は、 理論として構成として構想として概念として。

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