山内昌之『スルタンガリエフの夢 イスラム世界とロシア革命』(東京大学出版会)から、
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スルタンガリエフの志は、ロシア革命とソ連の歴史のなかでは敗北し、消え去った。しかし、かれが蒔いた理想の種子は、ソ連に統合された中央ユーラシアの平原では目を結ばなかったが、国境を超えた中東ムスリム地域の沃野で開花することに成功した。その一例をアルジェリア革命に見いだすことができる。つい最近もアルジェリアの文学者ハビーブ・トゥングールは、『スルタンガリエフ』という小説さえ公けにしている。
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アルジェリア革命を指導したアフマド・ベン・ベッラは、スルタンガリエフの革命思想から影響をうけたことを一九六三年に率直に認めている。かれは、「産業プロレタリアートはある種の特権享受に深入りしすぎているものだから、革命勢力を構成することができない」とまで断定している。ルノー工場のフランス人労働者を「ブルジョア的俗物」と呼ぶベン・ベッラは、工業のもっとも進んだドイツなど西欧諸国において革命がおきる可能性を大胆に否定しさった。/――資本主義の帝国主義段階において、植民地市場を独占し、さらに植民地を独占する手段を鍛えあげたのは、西欧のプロレタリアートにほかならないではないか。かれらはたしかに法外な利益のおこぼれしか受けとらなかった。でも、そのおこぼれは、今日では歴史的なものとなっているこの植民地支配に、ともかくもかれらが参加したといえるだけのものではあったのだ(『自由』一九六四年一月号、一三四-一三五)。/確かにアルジェリアの民族解放運動と社会主義・労働運動には、モスクワとカザンのポリシェヴィキと対立したスルタンガリエフの経緯と共通する側面があった。何よりも重要なのは、フランス本国やアルジェリアのフランス共産党員がアルジェリアの独立と民族自決にすこぶるシニカルだった点である。また、ムスリム・アルジェリア人の出身である限り、コムニストといえどもイスラムとナショナリズムの問題を配慮しなければ、アルジェリアの地域事情に即した戦術をうちたてられなかったことも忘れてはならない。
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