欧米について、酒井啓子・吉岡朋子・山尾大(編著)『現代イラクを知るための60章』(明石書店)から、

1979年7月に大統領に就任したばかりのサダム・フセインは、まだバアス党を完全に掌握していなかった。だが、イラン・イラク戦争中は、反体制派の抑圧が容易であった。彼は政敵を戦争中のイラク国家を弱体させるものとして厳しく取り締まったのである。イラン側にも同様のことがいえる。1980年4月に成立したイスラーム政権は、イラン・イラク戦争中に反体制派に対する弾圧を強行した。湾岸諸国にかんしては、両国が戦争を継続し、疲弊するのを歓迎した。米、仏、英、露は、戦争を両国に武器を売る好機と位置づけた。したがって、本当に戦争を止めようとする勢力が内外を問わず、ほとんど見えなかったことは特筆してよい。/集結に動いたのは、1986年に軍事バランスが急激に変化し、場合によってはイランが勝利する可能性が出てからである。レーガン政権がイランへ武器を売り、その売却代金をニカラグアの反共ゲリラ、「コントラ」の援助に流用するという「イラン・コントラ事件」が発生した。この武器に対戦車砲、ミサイルが含まれていた。1986年1月から対戦車ミサイルTOW2000基、ホーク地対空ミサイル235基がイランに空輸されたともいわれた。これによって軍事バランスが崩れ、イランの対戦車ミサイルTOW戦車や装甲車等を破壊し、イラン側が一気にバグダードまで攻め入る可能性が出てきた。イランの革命政権の勢力拡大を懸念する米国はこの事態を懸念し、軍事的にイラク支援を開始する。(孫崎亨)

政府軍と戦うバルザーニの強気を支えたのは、1960年代からクルドを支援してイラクのかく乱を狙ったイランとイスラエルだったが、1972年にイラクがソ連と友好協力協定を締結すると、イランのシャー(国王)が米国のニクソン政権を秘密工作に引き入れた。イスラエルからは諜報機関モサドの要因と中東戦争で獲得したソ連製のカラシニコフ銃が、イランからは秘密警察サヴァクが、米国からはCIAの工作員と資金が送り込まれた。北部は内戦状態に陥った。/小説もどきの国際的な秘密工作は、幕切れも劇的だった。1975年3月、OPEC総会が開かれていたアルジェで、サダムとイランのシャーが国境問題におけるイラクの譲歩と引き替えにイランによるクルド支援の即時停止で合意すると、本国の指令を受けた3国の工作員がクルディスタンから消え、入れ替わりに押し寄せたイラク軍がペシュメルガに襲いかかった。/イラン国境に近い砦で指揮を取っていたバルザーニの息子マスウドはのちに、「すべてはキッシンジャーが仕組んだ」と私に語ったことがある。(勝又郁子)

Kimra Iron's Ownd/鉄考書

木村鉄に才能はありません。 が、そこからしか考えることも書くことも、できません。  詩のように小説を。 小説のように詩を。 物語は、 理論として構成として構想として概念として。

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