山崎佳代子『解体ユーゴスラビア』(朝日選書)から、

ユーゴスラビアはバルカン半島の西半に位置する南スラブ系の多民族国家で、国土面積は日本の三分の二ほど、人口は二千四百万。民族と文化の複合性はしばしば、七つの隣国(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア)、六つの共和国(スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニア)、五つの民族(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人)、四つの宗教(ローマ・カトリック、セルビア正教、マケドニア正教、イスラム教)、三つの言語(セルビア=クロアチア語、スロベニア語、マケドニア語)、二つの文字(キリル文字、ラテン文字)、そして一つの国家、という言葉で表されてきた。一九七〇年代には、イスラム化したスラブ人モスレムも民族として認知されている。さらに、南スラブ系六民族のほかに、二十を超える少数民族が存在することも、この国の性格をいっそう複雑にしていた。/六つの共和国はそれぞれ単一民族からなるわけではなく、いずれもカクテルのごとく複雑な民族構成をもっている。つまりセルビア人、クロアチア人、モスレム人、モンテネグロ人は、民族語とにまとまってひとつの共和国をつくっているのではなく、隣接するいくつかの共和国にまたがって住んでいる。同じ言語を話すから、混住することにあまり大きな障害はない。スロベニア人とマケドニア人はほかの共和国に住むことは比較的少ないが、スロベニア共和国とマケドニア共和国には他民族や少数民族がかなり多く住んでいる。ユーゴスラビアではどの民族も、人口の多少にかかわらず、憲法によって等しく権利を保障されていた。また、国勢調査などの民族欄は自己申告制で、自分がどの民族に帰属するかを表明する義務はなかった。多くの人は、民族を意識する必要さえなかった。異なる民族間の婚姻も普通であったから、ほぼマケドニア民族に匹敵する数の国民が「ユーゴスラビア人」を名乗っていたのも当然のことであった。

Kimra Iron's Ownd/鉄考書

木村鉄に才能はありません。 が、そこからしか考えることも書くことも、できません。  詩のように小説を。 小説のように詩を。 物語は、 理論として構成として構想として概念として。

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