何が、イスラームを差別をしているのか、イスラームを差別させているのか、イスラームに差別させているのか。イスラームが、何を差別しているのか、何を差別させられているのか。私市正年(編著)『アルジェリアを知るための62章』(明石書店)から、

フランスによる現地社会への介入が、アルジェリアのその後の歴史に大きな遺恨を残した別の例が、カビール地方に対するフランスの積極的介入政策である。カビール地方には19世紀末以降、集中的にフランス学校が建設され、就学率も他の地域より高かった。また、1898年創設された財政審議会でも、「アラブ部会」とべつに「カビール部会」が設けられるなど、カビール人をアラブ人と「別人種」と見て、両者を分離する措置がとられた。これらの政策は、ベルベル人の一集団であるカビール人は、人種的・文化的にもともとヨーロッパとキリスト教文明に近く、イスラームによって被った影響も表層的なものにすぎないので、アラブ人よりも容易に「文明化」可能であるという、「カビール神話」に基づいて行われた。自由・平等・博愛を称揚する第3共和制(1870~1940年)のフランスよって、こうしたきわめて人種的な政策が行われたわけえある。(渡邊祥子)

アルジェ東部の山岳地はカビール地域と呼ばれ、カビール人(ベルベル人)が住んでいる。アラブが侵入してくる前からの先住民で、アラビア語とは異なるベルベル語を話す民族である。フランスはそこにつけこみ、アラブとベルベルを「分割統治」する政策を行うとともに、グセル、アルベルティーニ、ゴーチェら、いわゆるアルジェ学派の歴史家たちを使って、カビール人の先祖は、ローマ人のキリスト教徒、あるいはガリア人(現在のフランスにあたる地域に居住していた民族)のキリスト教徒であるなおという「神話」を創出した。それによれば、カビール人は元来、フランス人と同じキリスト教徒のヨーロッパ人であるので、彼らをフランス語化させ、キリスト教徒に改宗させ、文明化させることが可能であるとされた。だがこのような「カビール神話」は、植民地支配(カビールの脱アラブ事件、脱イスラーム化)を正当化させただけでなく、アラブ・ムスリムからみれば、世俗主義と反アラブのカビール人像を生み出し、今日まで続くアラブ・ムスリム(国家権力)のカビール人に対する不信感の源になっている。/この不信感はベルベル系住民のなかでカビール人だけだ分離主義的傾向を示すこととも関係している。1949年、カビールのベルベル主義者たちがこうした意向を表明して以来、今日まで中央のアラブ系政府の、カビール人に対する不信感が消えないようである。(私市正年)

FIS組織が非合法化、指導者たちが逮捕されると、組織自体の分裂をまねき、政治の主導権を失っていった。その間にアルジェ都市郊外の庶民地区にたくさんの独立した武装集団が生まれた。彼らの多くは都市の窮乏化した青年たちであり、政治指導力や調整能力を欠き、ましてや政治プログラムを作成する力を持ち合わせていなかった。そうした諸集団が1992年10月、GIA(武装イスラーム集団)を結成し、やがてテロリズムの主役の地位についた。彼らのテロのターゲットは、最初は政治家、軍人・警察など権力機構の人間たちであったが、やがて知識人・文化人・(文化的に体制派)、外国人(政治経済的に体制を支える存在)をも攻撃対象とするようになった。そして彼らが軍や警察力の前にしだいに追い詰められると、一般市民をもテロの対象とした。彼らの論理はこうである。「自分たちはイスラームの正義のために闘ってきた。神の正義の戦いは絶対的に正しいのに、劣勢に立たされるようになった原因は何か? 市民がこの正義の戦いを放棄したからである。責任、最大の責任は正義の戦いについてこなくなった市民にある」と。/1997年、悲劇は頂点に達した。一晩で多数の市民が虐殺された。8月29日ブリダ件スィーエィー・ムーサー市のライース(死者228人)、9月5日アルジェ西郊ベニ・メッスース(同120人)、9月22日アルジェ南郊ベン・タルハ(同212人)が血の海となった。さらに西部のギリザーン県の村では、97年12月末(同400人)から翌98年1月に2回(同62人、65人)というようにむごたらしい虐殺事件が起こった。だが、ここに大きな謎が横たわっている。これほどの大量の人間をGIAが一晩でどうやって殺せるのか? 実は「正当防衛団」とか「愛国者たち」という体制側の民兵組織がGIAと武装闘争を始めていたし、また何よりもベン・タルハ事件の目撃者証言は、虐殺に軍や警察が関与したことをほのめかしている(Nesroulah Yous, Qui a tue a Bentalha?, Paris, La Decouverte, 2000)。すべてのテロ事件がそうだとはいえないが、大規模な虐殺事件には何らかの国家の関与があったことを信じるアルジェリア人は多い。/虐殺の真相がどうであれ、政治社会変革の期待を抱かせたイスラーム主義運動はテロリズムの中に落ち込み挫折してしまった。アルジェリア人たちは互いに殺し合い、深い精神的な傷を負ってしまった。2002年以降、1年間の犠牲者は1000人を割ったが、彼らのトラウマはいつ消えるのだろうか。(私市正年)

Kimra Iron's Ownd/鉄考書

木村鉄に才能はありません。 が、そこからしか考えることも書くことも、できません。  詩のように小説を。 小説のように詩を。 物語は、 理論として構成として構想として概念として。

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