フランスがアメリカの「イスラーム国」への空爆に参加したこと、協力したことについて。あるいは植民地について。私市正年(編著)『アルジェリアを知るための62章』(明石書店)から、

ピエ・ノワール(黒い足の意)とは本来はヨーロッパ人入植者(コロン)のことであるが、戦後はフランス人引揚者をさすようになった。有名人では作家アルベール・カミュやデザイナーのイブ・サンローランなどがそうである。彼らの中には「アルジェリアは祖国であり、自分たちは祖国を奪われた者である」という意識をもつ者も少なくない。そのことが、フランス国家への補償要求やムスリム移民への差別や移民排斥意識につながっているのである。1980年代以降、彼らはアルジェリアからの引揚者としてのアイデンティティ意識を強め、友の会を結成し始めた。「ピエ・ノワール青年」「ベニ・ムラード友の会」「モスタガネム友の会」「ロワール、ピエ・ノワール友の会」「タガステ子どもの会」「ハマー地区ピエ・ノワール会」「オラン旧警察官の会」など多数のピエ・ノワールの団体が結成された。2005年の引揚者法に、ピエ・ノワールの名誉回復や植民地支配の肯定的評価が盛り込まれたのは彼らの強い要求が働いたからである。/問題は、フランス国内でピエ・ノワールが、ルペン率いる右翼政党FN(国民戦線)の支持基盤をなし、移民排斥や反イスラームの風潮をかきたてていることである。戦争はまだ終わっていないのだろうか。(私市正年)

アルジェリア独立戦争(1954年11月~1962年7月)が長期化した要因の1つは、フランスがサハラ砂漠に眠る石油・天然ガスを手放そうとしなかったことである。フランスは独立戦争最中の1956年から1962年までの期間、サハラ砂漠で30の油田を発見し、フランスへの輸出を開始していた。また独立後もサハラの地下資源は依然としてフランスが掌握していた。(福田邦夫)

フランスによるアルジェリアの植民地支配は、入植型植民地ともいわれているように、大量のフランス人入植者(コロン)が農民から土地を略奪した。そして農民から略奪した土地はブドウ栽培地に転換された。しかし独立直前には、60~80万人のフランス人入植者が一挙にアルジェリアから立ち去った。(福田邦夫)

日本ではあまり知られていない事実であるが、フランス政府は独立戦争の最中から独立後にかけてサハラ砂漠での核実験を実施している。フランス政府は1960年2月13日、サハラ砂漠南部のレガン近郊にてアルジェリアで初めて核実験を実施した。使用されたのはTNT火薬70キロトンの核爆弾で、「アオトビネズミ」というコードネームが付けられた。62年、アルジェリア民族解放戦線(FLN)代表とフランス政府の間でアルジェリアの独立を認めるエヴィアン協定が締結された際、秘密裡に軍事協力協定が締結された。(吉田敦)

フランスのアルジェリア支配がチュニジア、モロッコにおける支配と異なる点は、現地社会の伝統的な経済・文化・政治構造がフランスの介入によって徹底的に破壊されたことにある。アルジェリアにおけるフランスの「文明化の使命」は、根こぎにされた現地社会の瓦礫の上で遂行されたのである。(渡邊祥子)

Kimra Iron's Ownd/鉄考書

木村鉄に才能はありません。 が、そこからしか考えることも書くことも、できません。  詩のように小説を。 小説のように詩を。 物語は、 理論として構成として構想として概念として。

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