鵜飼哲/海老坂武訳、ジャン・ジュネ『恋する虜 パレスチナへの旅』(人文書院)における、鵜飼哲「『恋する虜』完成にいたるジュネ晩年の歩み――あとがきにかえて」から、

「領土」とは各人がその内部のもっとも秘密の場所に、極限的な孤独のなかで創造すべきものであり、さらにその「領土」までも「解体」する自由が獲得されねばならない。そのときはじめて、「無限の、地獄のような透明」のうちに、各人の絶対的な透過性があらわになる。これはジュネにとって、レンブラントやジャコメッティのような芸術家のみが到達しえた例外的な境地だったが、自分自身に対してはもちろん彼が愛する戦士たちにも、彼は心中ひそかにこの法外な倫理的要求をつきつけていたのだった。スペイン人の作家フアン・ゴイティソーロはある日ジュネにたずねた。「国を手に入れたら、パレスチナ人はどうなるんだい?」彼は一瞬沈黙したが、こう答えた。「彼らも国を捨てる権利を持つんだよ、私のように」。本書の終わり近くに男性同性愛者の妊娠幻想と溶け合った「私のなかの地所と家」をめぐる不思議な体験が語られているが、この挿話はこれらの革命家たちに対するジュネの愛の、ひとつのアレゴリーでもあるだろう。/七〇年代中期、第四次中東戦争と石油危機を契機に一定の国際的認知を得た時期のPLOに対しジュネがやや距離を置いたことも、そして八二年六月、キャンプ・デーヴィッド合意によって南部国境の安全を確保したイスラエルが突如ベイルートに向けて進撃を開始したときパレスチナ人に対する彼の愛が再び激しく燃え上がったことも、この愛の性格から説明がつく(ちなみに本書のタイトルである「恋する虜」Un captif amoureuxという表現は「……に捕らわれた」(captif de)、「……を恋する」(amoureux de)という風にいずれも前置詞deを介して補語を取りうる形容詞を重ねたもので、captifはまた「魅惑する」という意味もある動詞captiverにも繋がるが、本文中はただ一度この言葉が用いられている箇所(二九四頁)ではむしろ七三年以後の新疆に関連させられていることもあり、「狂気の恋」を連想させがちな「恋の虜」より受動性と自発性の両義的な運動を含む「恋する虜」――パレスチナ人の「虜」にして「恋人」――の方がいっそう正確な訳語と思われる。また、ジュネが晩年愛読したイスラム神秘主義の詩的表現にみられる男性形の神に対する赤裸々な恋情と深い知性の独特の結合をこの言葉のうちに認めることも可能であろう)。そしてこの愛は、このうえなく過酷な要求と不可分だったにもかかわらず、どうやらジュネの片思いではなかったようである。最初にジュネにヨルダン行きを勧めた当時のPLOフランス代表マフムード・ハムカリの妻マリ―クロードは、あるとき一人のフェダイーにパレスチナ革命の目的をたずねたことがあった。彼は答えた。「新しい人間の創造さ」。「新しい人間て、たとえば?」「ジャン・ジュネみたいな人間さ」。このフェダイーはジュネの作品を何も読んだことがなかった。

Kimra Iron's Ownd/鉄考書

木村鉄に才能はありません。 が、そこからしか考えることも書くことも、できません。  詩のように小説を。 小説のように詩を。 物語は、 理論として構成として構想として概念として。

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