三浦雅士『死の視線 80年代文学の断面』(福武書店)から、
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鮎川信夫の『最後のコラム』(文藝春秋)に次のような一節がある。//友人、知人であれ、肉親であれ、親しい者の死に出会うたびに、人生の空しさを感じる。どのみち人は死ぬのだとわかっていながら、人力ではどうすることもできない死を前にすると、運命の酷薄さに打ちのめされる。その意味で、死は強力無比の説得力である。/神の前での平等、法の前での平等を信じない者でも、死の前での平等は信じないわけにはいかない。人種、階級、年齢の如何を問わず、人間は、死すべき運命をひとしく共有していることを自覚している。そして、それのみが人間を、他の動物、生物から厳然と区別させる基となっているのである。/人間にとって、死は、無を意味しない。死者は墓に葬られ、長く記憶にとどむべきものとされる。生物学的な死によって肉体は消滅しても、霊的存在として彼らは生者と共に歩むのである。国家といわず、個人といわず、人間の歴史は死者の声でみちみちている。/生の意味は、死によってしか明らかにされない。//美文ではない。だが、鋭く胸を打つ。死の数ヶ月前に執筆されたからだけではない。死者は霊的存在として生者とともに歩みつづけるという指摘が、鮎川信夫の仕事をただちに思い起こさせるからだ。太平洋戦争の戦死者の眼を、鮎川信夫は終生忘れなかった。怨恨の眼ではない。彼らの眼で現在を平静に眺めてみればという仮定が、身についてしまったにすぎない。しかし、状況批判にはそれで十分すぎるほどだった。それは時代を捉えるために不可欠な補助線の役割を果たしつづけたのである。
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