平野千香子『フランス植民地主義と歴史認識』(岩波書店)から、
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アルジェリア戦争をめぐる記憶が二〇世紀の終わりに急速にフランス社会に前景化してきた様相を、いくつかの角度から考察してきた。この戦争に関する市民運動は活性化しているし、戦争を直接の題材とした映画の製作も進み、アルジェリア戦争と向き合おうとする傾向は、フランス社会に継続して顕著にみることができる。/それにはさまざまな理由があろうが、ここでは大きく二点のみをあげておこう。まず、アルジェリアの独立から半世紀以上が過ぎる間に、フランス現代史のもう一つの暗部であるヴィシー政権期についての見直しが大きく進んだことがある。ユダヤ人迫害という人道上の問題が掘り起こされ、それにさまざまな立場からの謝罪や改悛がおこなわれるなかで、別の人道上の問題を考える土壌が作られていったと考えられる。そこにパポンという、その双方にかかわった人物の裁判があったことが、この記憶を呼び覚ますのに大きな画期となったことは、間違いない。これに関連して、「人道」という概念をめぐる国際的な認識の深まりも指摘されなければならないだろう。国際刑事裁判所の設置は、その大きな成果の一つである。/二点目として、フランス社会の構成員に旧植民地系の人びと、とりわけアルジェリア系の住民が増加したことをあげておきたい。フランスは一九八〇年前後に、自らが「移民の国」だと自覚したとされるが、それは七〇年代の石油危機を経て旧植民地系の労働者がフランスに定住し、可視化されてきたことが要因である。それらの「移民」はフランスの国民史に場をもたない、言うなれば、「記憶の場」に居場所を与えられない人びとである。しかもフランス国内には、アルジェリア戦争に由来する「アルジェリア人嫌い」が根強くある。そうしたなかから八〇年代、そして九〇年代には、北アフリカ系の二世三世も自己主張を展開するようになる。戦争を直接には知らないものの、その影響をこうむり続ける彼らが過去を知りたいと思うのは必然であろう。イスラーム系フランス人の多くがアルジェリア系でもあり、そうした彼らの存在が、九〇年代末の戦争の記憶が噴出する土壌を準備したことは、フランス社会の変容とともに、十分考慮されるべきだと思われる。
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