2015.09.21 13:06 それほどのことでもない 強行採決なんて あるいは 社会的考察として「父について/性について」の目次 - FC2小説あなたのオリジナル小説が簡単にネットに公開できる、無料オンライン小説サービスです。novel.fc2.comKimra Iron's Ownd/鉄考書木村鉄に才能はありません。 が、そこからしか考えることも書くことも、できません。 詩のように小説を。 小説のように詩を。 物語は、 理論として構成として構想として概念として。フォロー2015.09.21 13:13 飯沢耕太郎『眼から眼へ 写真展を歩く 2001-2003』(みすず書房)から、*新宿二丁目の古いビルの四階に新しいギャラリーができた。名前は「photogrphers gallery」。それほど大きくはないが、シンプルで感じのいい展示室とスタッフ・ルームを備えた、なかなか魅力的なスペースである。/メンバーは一六人の共同運営で、八人の女性写真家によるオープニング展(一月十一日~二月四日)、中尾曜子「死画像」展(二月一〇日から二十八日)と続き、今回はギャラリー設立にあたって中心的な役目を果たした北島敬三さんの個展「千のポートレート」が開催された。/北島さんによれば、ギャラリー設立のきっかけとなったのは、去年の一〇月頃、当時教えていた東京造形大学の学生たちとの会話だったという。写真が好きで、なんとか卒業後も続けたいと考えている学生も、「撮って発表していくという方法論」をしっかり持たないと、「せっかく芽生えた情熱が横滑りする」ことになってしまう。そんな彼らに「たとえばギャラリーなんかどうだろう」と話したところ、すぐに反応が返ってきて、それからとんとん拍子で準備が進んだのだそうだ。/今は、バブル時代にくらべると地価が下がっていて、新宿でも月一五万円という値段で部屋を二室借りることができた。一六人で負担すれば、それほどの額ではない。工夫次第では、自分たちのスペースを割りに簡単に確保できるということだ。2015.09.20 10:37 『現代思想 2月増刊号 2006 vol.34.3 総特集 フランス暴動いかし現在に繋がる 階級社会の行方』における、鵜飼哲+平野千香子+森千香子+なすび「討議 フランス暴動をどう見るか」から、*鵜飼 (略)フランスは移民の国です。一九世紀後半、少なくともドイツが大国化するのに対して、フランスは人口の増加が非常に鈍かった。そこで主にヨーロッパのキリスト教国からの移民が奨励されてきました。アルジェリアのような、一九世紀半ばに獲得された植民地に植民するヨーロッパ人は、フランスだけではなくヨーロッパ全体から募集されました。しかし現在に繋がる大きな移民の波はやはり、第一次世界戦争後だと思います。成人男子の大量死の穴を埋めるべく、その戦後復興の過程で、ポーランド人、イタリア人、ポルトガル人、やはりカトリック国からの移民が多くやってくる。今ではなかなか想像しにくいですけれども、三〇年代にはこの人々も相当の差別を受けていたという歴史があります。/第二次世界戦争後、フランスの植民地が独立していくなか、アルジェリアが独立したのは一九六二年ですが、六〇年代の初めは、フランスは経済が非常に好調だった時代であり、主に自動車工場や炭鉱といったところに、独立したばかりの旧植民地諸国から、かなり組織的な移民の導入が図られます。これはフランス政府と、独立間もない新興国の政府の間で、ある種の秘密協定にのっとって取られた移民政策です。それから十数年後、オイル・ショックが起き、それ以降の不況のなかで工場はどんどん閉鎖されていき、工場の傍に集住していた移民たちの共同体がフランス社会からはっきり切り離され、ある種の陸の孤島のようになっていく。失業率もフランス平均の二倍から二倍半にのぼり、非常に不安定な形で、とりわけ若者たちが、その地域に無為のまま集団で暮らすという形がでてきてしまう。0コメント1000 / 1000投稿
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