佐藤卓巳/孫安石編『東アジアの終戦記念日――敗北と勝利のあいだ』(ちくま新書)における、佐藤卓巳「「八月一五日」の神話化を越えて」から、

終戦とは外交事項である。相手国への八月一四日通告より、自国民向け八月一五日放送を優先することはグローバル・スタンダードではありえない。国際標準としては東京湾上の戦艦ミズーリ号上で降伏文書が調印された九月二日(旧ソ連・中国・モンゴルでは翌三日――その経緯については第8・9章参照)がVJデイ(対日戦勝記念日)であり、「終戦」という観点では八月一五日はただ「忠良なる爾臣民」に向けた国内向きの録音放送があった日に過ぎない。/とすれば、八月一五日を「終戦記念日」とする根拠は歴史的には乏しい。こうした事実関係の指摘は、別に目新しいものではない。江藤淳編『占領史録』(講談社、一九八一年)が明快である。//“停戦”の意味における終戦の時期は、やはり八月十五日正午ではなくて、降伏文書の調印が完了した九月二日午前九時八分としなければならないように思える。すなわち、これが戦前と戦後を分かつ時刻である。(略)もし戦争状態の終了をいうならば、それは昭和二十七年(一九五二)四月二十八日、サンフランシスコ平和条約が発効して、連合国の日本占領が終了した日以外の日ではありえない。

私は現行の終戦記念日の正式名称「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を今こそ政教分離し、お盆の八月一五日「戦没者を追悼する日」と別に、九月二日「平和を祈念する日」を新設することを提唱している。そもそも普通の人間にとって宗教的(感情的)追悼と政治的(理性的)議論を同時に行うことは可能だろうか。私たちは心を込めて追悼しながら、同時に理性的な議論ができるほど器用ではないのである。そして、私的な心情と公的な意見は必ずしも一致しないし、無理に一致させることは難しい。八月の体験が大切であればこそ、それを政治的論理と安易に重ねるべきではないのである。八月の国民感情を十分に踏まえてこそ、九月に周辺諸国との理性的な合意形成が可能なのではないだろうか。

Kimra Iron's Ownd/鉄考書

木村鉄に才能はありません。 が、そこからしか考えることも書くことも、できません。  詩のように小説を。 小説のように詩を。 物語は、 理論として構成として構想として概念として。

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