福間良明『焦土の記憶 沖縄・広島・長崎に映る戦後』(新曜社)から、

新川明は、琉球大学を中退したのち、沖縄タイムス社に記者として勤務したが、労働組合を結成したことが経営陣の不興を買い、一九五七年末から数年間、鹿児島支局や大阪支局に左遷された。新川はこの「不当配転と懲罰的処遇」に怒りを覚えながらも、「米軍支配下の暗鬱な世界から、形はどうであれ憧れの「祖国日本」に脱出した解放感と充実感」を抱いたという。/その本土で新川が目にしたのが、六〇年安保闘争であった。当時、新川は大阪に滞在していた。日米安全保障条約の改定問題は、岸信介内閣による強行採決への反感も相まって、広範な反対運動を引き起こした。一九六〇年六月一五日には、全学連主流派が国会議事堂に突入して警官隊と衝突、そのさなかに東大生の樺美智子が死亡した。大規模な街頭デモや集会は、東京に限らず、大阪でも頻繁に行われ、反安保の機運は高揚していた。だが、新川はそれに違和感を抱いた。そこで新川が感じ取ったのは、「この国民的な規模の安保反対運動の中で「沖縄」問題がまったく抜け落ちている現実」であった。新川はそのときに抱いた疑念を次のように記している。//「沖縄返還」をスローガンの一端に掲げているとは言え、そこで主張されるのは要するに日本が米国に従属し、米国の軍事戦略の一翼を担うことに反対しているにすぎない、という現実であった。「日米安保は日本を米国の戦略に組み入れることであり、日本全体を“沖縄化”することが狙いである」という主旨の訴えを聞いた時、私は耳を疑った。判りやすい言葉で安保反対の気運を盛り上げようとする単純な気持ちから出た言葉かも知らないが、単純であるだけにその言葉を発想させる意識は恐ろしく思えたのである。/その論法は日本にとっての安保とは何か、という点では判りやすい理屈ではあるが、沖縄の現実が抱えている問題とは関わりのない議論であり、「沖縄返還要求」というスローガンの空虚さを浮き立たせるだけのものでしかなかった。/安保問題とはすぐれて「沖縄」問題であり、「沖縄」問題とはとりもなおさず安保問題であるという、今日なおかわることのない極めて基本的な認識の欠如がその論法を成り立たせている。/日本国民にとって「安保」とは何であり、「沖縄」とあ何であるのか、という原初的な問いを眼前の現実は私に投げかけ、その答えを自らみせつけているようであった。

Kimra Iron's Ownd/鉄考書

木村鉄に才能はありません。 が、そこからしか考えることも書くことも、できません。  詩のように小説を。 小説のように詩を。 物語は、 理論として構成として構想として概念として。

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