たとえ、徴兵制は絶対におこなわれないということだった、そのとおりのことになているとはいえ、社会の格差がどんどんひらいていって、貧しいものは富めるものから人間扱いされないくらいになって、貧しいものがごくごくあたりまえの権利をえるために、仕事として職業として軍隊とか基地とかをあてにするしかなくなるとしたならば。戦争にでもいって一花咲かせるしかない、たとえ華と散ることになろうとも神の風にもよるだろうから、そんなことにしかならない、そんなことになるとしたならば。それは徴兵制がおこなわれなくても徴兵制になっている、それ以上ですらある、そのようにしむけられている、おのずからにも、自己責任によるようにも、そういうことになるでしょう。そのために、もちろん富めるものは、戦争にいくまでも、かかわるまでもないことになるでしょう。それどころか富めるものは、自分だってほんとうは戦争にかかわりたいし、いきたい、にもかかわらず富める自分がいくのでは貧しくて他にあてにできるところのないものたちの、たとえ一人分でも奪ってしまうことになるだろうから、むしろ、富める自分は戦争にかかわらないほうがいい、そのほうが貧しきもののためになる、貧しきもののためにこそ富めるものは戦争にかかわらない、そんな善意とか良心とかの権力によることになるでしょう、そんな権力があたりまえのようにはびこることになるでしょう。そしてやがては、戦争には富めるものはかかわらなくてもいい、貧しいものが富めるもののかわりに戦争をしてくれる、それどころか富めるものが貧しいものに戦争をさせてやっている、貧しいものが富めるもののために守って、戦って、死んでもいい、死んだほうがいい、死ななければならない、そんなところがあたりまえのことになるでしょう、再び。まるで、戦争も戦争のための武力も放棄して国際平和を希求する平和憲法が改められることなく護られていながらも、法案でもって解釈でもって戦争がおこなわれても憲法違反にならないということのように。まるで、平和憲法が改められないからこそ、奴隷根性による偶像崇拝のごとくに護られたままだからこそ、法案も解釈もいくらでもどのようにでも生じてくるのだというように。



Kimra Iron's Ownd/鉄考書

木村鉄に才能はありません。 が、そこからしか考えることも書くことも、できません。  詩のように小説を。 小説のように詩を。 物語は、 理論として構成として構想として概念として。

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