絶対に間違ってはいけないのは、戦争がおこなわれる決定にいたったことが、そもそもはかつての選挙において圧倒的多数が与党となるようなことになっていたからだ、というように国民とか大衆とかを捏造して、そこに責任をなすりつけることですましてはならないということ。自分たちの責任を回避してはならないということ。たとえ現実において、事実として、国民というものによって圧倒的多数の与党が生じたのだとしても、その時点からどうしてそれをくいとめることができなかったのかを考えなければならないというものでしょう。絶対に間違ってはならないのは、革命は、もはや復讐ではないということ。ゆるしがなければならないということ、ゆるくとも。たとえカネとかチカラとか血統とか世襲とかで戦争をおこなうことを決定した権力にたいしてであれ、それをゆるすために抵抗するということ、ゆるすためだからこそ抵抗が持続するということ、ゆるやかにも。ゆるすことは、それによって見くだすことではないのだから、支配することでは、差別することではないのだから。ゆるすことは、それだけ他者についてをうけいれられるということ。ゆるせ!

 ということではないのだから。たとえば加害者であったのにもかかわらず、支配と差別とによったにもかかわらず、被害者にたいして、被支配者に被差別者にたいして、ゆるせ!

 そんな恥しらずなことではないのだから。革命をおこすこともできないで無知にも寛容にもゆるす、ゆるしている、すでに、まさか敗北を誤魔化して正当化するのでもあるまいに、そんなこととはまるでちがうように。


 未来のために

 これが21世紀

 あきらめるには、はやすぎる


 タイトルは、

 もちろんマンデラさんとか。

Kimra Iron's Ownd/鉄考書

木村鉄に才能はありません。 が、そこからしか考えることも書くことも、できません。  詩のように小説を。 小説のように詩を。 物語は、 理論として構成として構想として概念として。

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