おっさん、

再び



   はじまりは、ある朝、目をさますことになったある夢が不可解なものだったんだが、そんなところにすぎなかったんだろう。夢が不可解だったとはいうものの、しかしその夢を見て目をさましたところで、目をさましたほうの現実までが不可解になってしまった、それほどのことではなかったんだろうが。その夢で目をさますまでの、つまり、その眠りにつくまでの現実からは、その夢で目をさました現実のほうは、その夢で目をさましたことによるというようにうってかわったものになっていた、それほどのことではなかったんだろうが。しかし自分だけにおいてならば、たしかにそれほどのことではなかったんだが、その夢を、不可解だったからということで言葉にしてみたら現実のほうもいささか不可解にはなってきた、そんなところじゃないだろうか。たとえその言葉が、幼稚なまでに公私混同たるものだったのであれ。匿名と無責任とによる自由のもとだったのであれ。曖昧であるどころか無知にすぎないくらいの寛容のもとだったのであれ。

 ワタシもワタシも

 オレもオレも

 もちろん、

 も

 がないと考えた場合とは、あるいは平仮名をとりのぞいた片仮名だけによる場合とは、つまり、

 ワタシワタシ

 オレオレ

 となる場合とは異なるものであることはいうまでもないにしても、しかしほんとうに、どれだけ異なるといえたものか。

 しょせんは背後において後光のようにもカネとかチカラとかがひしめいていることにはかわりはないというようなことかね。

 それもあるが。

 しょせんはカネとチカラとに利用されているにすぎないというのに、利用されるだけの価値が、意味が、自分にはあるということで。それでいて、価値が意味が認めてもらえる以上はありえないくらいにもありがたくもめでたくも滅私奉公でもって、酷使されようが搾取されようが、差別と支配との奴隷でしかなかろうが、どれだけのあわれみをかけられて見下されて馬鹿にされているのであろうが、やはり利用されているにすぎないというようなことかね。

 たとえ騙されるにしても、それも流行のようなことにのみこまれているのだとしたら。流行として、誰もが騙されているのだから騙されやすいことになっている、それ以上に、騙されなければならないという脅されて迫られて、それ以上の強迫によるのだとしたら、反復同然にも。騙されるのであれ、その価値とか意味とか、経験とか、それをたしかめたいだけのことだとしたら。自分も他者と同じであるということを、それでいて他者が自分と同じであるということを、他者を支配しうるということを。

Kimra Iron's Ownd/鉄考書

木村鉄に才能はありません。 が、そこからしか考えることも書くことも、できません。  詩のように小説を。 小説のように詩を。 物語は、 理論として構成として構想として概念として。

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