ある朝、窓から、青いことは空よりも眩しく、大きいことも空よりも、そんな海が見えるどころか、そこを鯨の親子が並んで泳いで、潮をあげて、虹をかけている、まるで海中ではなく空中を浮遊しているようにも、そんなところを目にするなんて、それが不思議な話のはずであるのは、この国において、海はないというのに、いくらここがこの国で最も高い建物の最上階で最も遠くまで見わたすことができるからって、しかし、もしも、これが不思議な話のはずにはならないのならば、もしもトーキョーが一夜にして海に沈んでいることになるのならば。

 かつて、トーキョーの知事がトーキョーを世界の中心として世界一のオリンピックをおこなおうとして、そのために世界一の聖地であらしめようとして、風のよせるところとして、波のよせるところとして、我欲を洗い流そうとした、そんな予言がとうとう世界の終わりのようにも成就した、そんなことになるのかもしれない。

 もしもほんとうにそんなことになったのならば、知事だって、これまでの狂った果実のようだった太陽のようだった勢いもしょせんは冷戦構造の安全保障の傘下のものでしかなかったというように、自分一人では壁どころか窓すらもうちやぶることもできない、せいぜい障子をやぶるくらいのことでしかないという以上はキンジニヤニヤだって、かろうじて加藤のもとに逃げてくるしかないというものだろう、キンジニヤニヤだっていつもいつもこころよい笑顔でもって吉報ばかりを届けてくれるというのではないにしても、あやしげな笑顔でもって悪い噂をわざわざ届けてくれることだって、それどころか自分が届けたのではない郵便物にいたると加藤の許可もなく勝手に手をつけて目をとおして道端にでもうっちゃったままにすることだって、それどころか猫にでもおそわれようものなら昼を夜にでも、夜を昼にでも、ひっくりかえしてしまいかねないというのに、まさか、風呂のなかにいつのまにかすみついてしまうということはないにしても、しかし加藤が風呂の窓から外に目をやると、そのすぐ下にうずくまるようにして、まるで加藤が風呂の窓からでも逃げだすかもしれないからと見張っている見張っている、国策だから、それくらいのことにならなるかもしれないにしても。

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佐藤優

中上健次

フランツ・カフカ


Kimra Iron's Ownd/鉄考書

木村鉄に才能はありません。 が、そこからしか考えることも書くことも、できません。  詩のように小説を。 小説のように詩を。 物語は、 理論として構成として構想として概念として。

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