Kimra Iron's Ownd/鉄考書
木村鉄に才能はありません。 が、そこからしか考えることも書くことも、できません。 詩のように小説を。 小説のように詩を。 物語は、 理論として構成として構想として概念として。
- この目で見たのは初めてのことだったのにもかかわらず、Fについて、それでもわたしとFとはすでに長いあいだにわたって親しくしてきているのだというように街のなかを駅のほうへ、と二人で言葉もなく歩いているのだった。空は、見あげることはなかったのだが曇っているようで、かすかながらも雨の滴も、目にとれるかとれないかというくらいだったにしても感じられないこともなくて、そのなによりもの証拠ということにもなるだろう、Fの、丁寧に万遍なく剃られて露わになっている頭皮の全体の輝きも鈍いようでいながらも、湿りによる艶やかさもうかがえなくはないようだったから。そんなFのわずか後方につきそってわたしは歩いていたのだが、駅にたどりついたもののFは構内に入っていく様子はなくて前をとおりすぎるだけのようではあったのだが構内のほうからでてきた小柄な女性(埃っぽいながらもあかるい橙の毛糸のカーディガンをはおって頭髪には全体的に白髪がまじっていて)から小さく声をかけられると歩みをとめて、顔をむけて、その女性が誰なのかがすぐにわかるというように嬉しそうに笑顔を呈するのだったが、それでいて大きな声で応じるのでもなく、女性と同様の小さい声で、すぐ後方のわたしにも聞きとれないくらいでもって挨拶をするのだった(しかしかしこまって頭をさげるというようなことではなくて)。それが、たがいによくわかっているあいだでの礼儀だというように、たとえそんな小さく、細い、声(決して弱々しくはない)が、小柄な女性のほうにはともかくにしろFのほうの大柄な体格にはそぐわないようであろうとも。 しばらくのあいだ、たがいの顔をのぞきこみあうようにたがいの目をまるくして二人は話をしていたものの、女性のほうからともなくFのほうからともなくわたしのほうにちらりちらりと二度三度の視線がむけられるようになって、やがてFが女性の前から離れてわたしのほうに三歩四歩と全身の体格にふさわしい大きな足で踏みしめるようによってくると、その女性にたいしての笑顔とはいささか異なった、もうすこし真摯な顔の色で、目の色はなごませるようにちょっと待っていてほしい。 ということだった。それだけの言葉だったが、だいたい一時間くらい、わたしは、どこか、ひとりで喫茶店にでも入って、Fとその女性との二人のための時間をつくったほうがいい、そんなように感じられるのだった、解されるべきもののように。それとともに、あるいはもしかしたらわたしがひとりになって喫茶店にはいってからのことだったかもしれないし適当な喫茶店をさがして駅前の街中をうろついていたあいだのことだったのかもしれないが、Fの誕生日が昨日だったこと、もしもFがこの世界に生きていたのなら八十九歳になっていたこと、それらが、まるでそのときに初めて誰かから知らされたというように思いだされるのだった。
- 俺が殺すのは、殺さなければならないのは、殺さざるをえないのは、殺したくないのにもかかわらず。それは、まさか自分が殺すだなんて、自分が殺さなければならないだなんて、自分が殺さざるをえないだなんて、たとえ殺したいのであろうとも、そのために。 俺が殺すのは、自分が殺さなければ殺したことにはならないから、自分が殺さなければ殺したいとも思いもしなかったことになるから、そのために。 俺が殺すのは、自分で殺すことをとめるために、自分で殺さなければならなくされていることをとめるために、自分で殺さざるをえなくされていることをとめるために。
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