多谷千香子『「民族浄化」を裁く -旧ユーゴ戦犯法廷の現場から-』(岩波新書)から、
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証言台に立った証人は、ほとんどすべてが事実を克明に記憶していた。想像を超える経験は、一〇年以上の歳月が経っても忘れられないのだろう。法廷での証言態度で印象的だったのは、歴史と民族の狭間に生きてきたタフな精神に裏打ちされた、冷徹に事実を見据える姿勢であった。今までの人生で、およそ外国に出たことはない者も、オドオドした態度はまったくない。彼らは、聞かれたことに答えるに留まらず、多くの場合、「この点を明らかにして欲しい」といった意見を述べ、裁判に積極的に係わろうとしていた。/それは、単に、復讐心に燃えて加害者や他民族の悪行を余すところなく伝えたいという意欲に支えられたものではない。他民族に対する不信感と憎悪は、「民族浄化」によって、一層、抜きがたいものになったのも事実であろうが、彼らは、同時に、歴史の真相を見極めなければ、将来の和解や平和建設を含め、何ごとも始まらないと考える冷徹さを備えていたのである。
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