mement-mori
わたしは絶望している。
それをあなたは信じるだろう、信じてくれるだろう。わたしが嘘をついているかもしれないのに、嘘をついているにすぎないかもしれないのに。あなたは、わたしを信じないあなたのことなど、信じられないだろうから、信じたくないだろうから。
わたしは絶望している。
それをあなたは信じてくれるけれど、私の絶望を認めてくれるけれど、しかしそれ以上に、わたしにたいしてどうしたらいいのかわからなくなってしまう。たとえばあなたが希望をもっているのに、そばに絶望しているわたしがいたならばどうしたらいいのか、あなたも絶望しなければならないのか、ほんとうはどうしたらいいのか。
わたしは絶望している。
だから、あなたはわたしが希望をもっていると信じることにするだろう。わたしが絶望したからこそ、希望をもっていると。私の絶望は、もう、過去のものだ、現在は希望をもっている、そのように信じることにするだろう。
わたしは絶望した。
にもかかわらずわたしは、現在において生きているのだから、絶望した過去において死んでいないのならば、現在に生きているのならば希望をもっているはずだ、希望をもっていないでどうして現在に生きていられるのか。まさか、わたしが、過去の絶望において死んでいたならよかったのに、そんなことでもないだろうが。まさか、わたしの絶望がほんとうは嘘だったから現在に生きている、そんなことでもないだろうが。
わたしは絶望している。
それをあなたが信じて認めてくれる以上は、あなたも絶望しなければならなくなくなってしまう。ほんとうにわたしが絶望しているのなら、わたしが死んでもおかしくない、死んでいてもいい、死ぬべきだ、死んだほうがいい、しかしあなたも死ななければならないかもしれない。
私は絶望している。
しかしそれは、ほんとうに証しだてることはできない、ほんとうは認めてもらうことはできない、あなたにも。もちろん認めてもらうために、あなたにたいしてであれ、こびへつらうつもりもない。だからわたしは絶望していない、しなかった。だからわたしは希望ももっていないのではなくて、だからわたしは絶望している、絶望した。
私は希望をもっている。
しかしそれは過去において絶望したからではない。絶望がすでに過去のものだからではない。わたしは現在において希望をもっている、そして現在においても絶望している。わたしは過去において絶望した、そしてそのときにも希望をもっていた。だからわたしは生きている。わたしは死んではいない、絶望によっても希望によっても。
(完)
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